クラシック音楽365日 10月17〜23日は229記事を新規投稿しました。

2022年10月17〜23日の一週間には229記事を投稿しました。


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Hallelujah

ヘンデルのオラトリオ《メサイヤ》の初演がダブリンで行われた日(1742年)。オラトリオとは、宗教的な題材による音楽劇で、オペラのように衣装や舞台装置は用いない。初演時は復活祭前の「四旬節」にあたり、カトリックでは娯楽にあたるとして、オペラの上演も禁止されていたが、オラトリオは例外であった。そこで本作が作曲され、初演は大成功。今では年末に演奏されることも多く「ハレルやコーラス」も有名。


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わたしは確信してる ― 音楽教室の肖像画に並ぶ日も近い今一番のトレンド作曲家

アルゼンチンの作曲家、ヒナステラが生まれた日(1918年)。ブラジルのヴィラ=ロボスらと並び、20世紀ラテンアメリカを代表する作曲家のうちの一人。作品には祖国アルゼンチンに関連するものが多く、農村の生活を民謡を使いながら描いたバレエ音楽《エスタンシア》や、民謡を用いずアルゼンチンを想起させるチェロとピアノのための《パンペアーナ第2番》など、様々なジャンルの作品を残した。


名曲名盤縁起 ウィーン・フィルを誕生させたニコライの人気作 ニコライ〜歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》序曲

ドイツのロマン派オペラの歴史を飾る作曲家・指揮者オットー・ニコライが、39歳を前にベルリンで夭逝した日。職業音楽家の父の跡を継ぐように強制されたニコライは、16歳で放浪の旅に出る。23歳でローマに赴き、イタリア伝統の教会音楽やオペラの作曲法を身に付けた後、ウィーンの宮廷に仕える音楽家になり、31歳で宮廷楽長にまで上り詰める。その時、ニコライは現代の私たちに至福の喜びを与えてくれるものを組織した。ウィーン・フィルハーモニー協会、つまりウィーン・フィルを生み出してくれたのである。
作曲家ニコライの最高傑作が、亡くなる前年、シェイクスピアの戯曲を題材にして書いた歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》だ。ドイツ以外の国での上演は稀だが、その序曲はとても人気が高い。ロマン派オペラらしい優美な序奏の後、軽やかで流麗な2つの主題によって、いかにもイタリア風のブッファにふさわしい、活き活きとして爽快な音楽だ。


悲劇のチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレを偲ぶ日

天才は風が吹き抜けるごとく疾走して逝く局地的に天才が集中するのは地球の地軸と関係があるのかザ・ビートルズがイギリス(ここではイングランドと限定しておきたい)の第一番の音楽家であることに過去にも未来にも変わることはないでしょう。そして2番目の不動の存在がジャクリーヌ・デュ・プレだ。
1987年10月19日に悲惨な最後となりました。1945年生まれですから享年42歳と成りますが演奏家としての実質稼働年数はわずかに12年。
プロ・デビューは16歳、すぐにスターに成り、21歳の時のアメリカ公演でも未曾有の成功を収めた。
チャーミングな彼女のダイナミックな演奏姿はBBCが収録していた奇跡。BBCにとっても、殊更素敵なことだった。このブレーク前の録音があることは後に彼女のファンになる愛盤家には嬉しい事だ。

16歳のデビューで“演奏家としての実質稼働年数はわずかに12年”ということは28歳で現役を去った計算になる。亡くなったのが42歳なら、14年感動していたの?という思いが湧いてくる。